2025こんな年にしたい

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」

年齢とともに減じる体力やら、忙しさにかまけて、まあいいかと、やり過ごす。2024年は、相変わらず、言い訳がましい一年であった。

私ごと、生活において一区切りつくことになる2025年。その好機を活かすべく、例えば、なにかしら、想像だけで停止していたことを始めるなり、環境を変えるなり。なにをか、自分の土台をつくるべしと誓う。

変わらぬことは、きっと、だれにも迷惑をかけることなく、また、波風さえ立つことも、あまりない。しかしながら、言い訳しいしい生きている己の姿が、そこにみえている。それなりに、まだある人生、多少なりとも、こころおどるものであってほしい、そんな魂胆である。

せっかくの好機である、そこに便乗させてもらい、言霊の力も借りつつ。

今週のお題「好きなパン」

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朝食の定番の質問、パン派か、ごはん派か。私は断然、パン派である。

硬いパンも、軟いパンも、菓子パンも、惣菜パンも、揚げても、焼いても、時に蒸しても、それぞれに好ましい。食事として、おやつとして、その役割は、無限大である。

生活やら、状況やらそれぞれに最適解がある。だから、一つに絞るのは非常に難しい。ただ、年中、わが家のパン置き場に鎮座しているものがある。きっとそれが、消費量としても、支出額としても、わが家の1位である。それが食パンである。

特に 10〜12枚にスライスされたものが好ましく、中でも、オーケーストアのもっちりスライス10枚入り、リトルマーメイドの12枚入りが、年間購入ツートップである。

なにが良いかといえば、その食感である。当日食せば、それが際立つ。やわらかく、しっとり、もちもちしている。また、耳さえも主張しており、特にリトルマーメイドのそれは硬く、非常に香ばしい。そのままでももちろん、チョコクリームなんかをつけても、よい。

また、日を経れば、焼きをお勧めする。トースターもよいが、フライパンで焼くのが、特に良い。卵を焼きつつ、隣でバターやらマヨで押し焼き、あるいは、チーズやら、ハムやら、マヨネーズやらをかけ、うらおもてを焼き付け、隣で千切りにしたキャベツを、ハーブソルトやカレー粉をまぶしつつ、挟み、いただく。

やはり、年中食しても飽きないのは、いかようにも食せることが、その要因だろう。

ただ、5枚、6枚が主流の市場ゆえ、訪問時間によってはないことも多い。おそらく、サンドイッチ要員とされているからか、片隅に、あるかもが、現状である。もう少しメジャーとなり、いつもある、になってほしい。

今週のお題「元気を出す方法」 



今週のお題「元気を出す方法」

元気を出す方法

元気を出したいとき、私は口角を上げる。気持ちが沈んでいるのに、口角なぞ上がるものか。確かに、正論である。

元気がないとき、たいがい、口はへの字に曲がっている。そんなとき、鏡を見ようものなら、さらに気持ちは沈む。若い時分、アンニュイであり、憂いであったそれは、疲れやら廃退となっている。そんな疲れやら退廃やらは、さらに口角を下げゆく。そしてある日、左右非対称の笑顔となって現れた。とても驚いた。

そんなこんなで、左右の笑顔位置を元に戻すべく、口角上げを行っていたのだが、なにやら、気持ちも一緒に上昇していることに気づいた。元気がない日でも、口角上げをやっていれば、なんだか知らぬ間に元気になっていた。いまだ、右口角が少しく下方気味であるものの、日々の訓練により、かなりの位置を取り戻せており、併せて、気持ちの沈みというのも、以前ほどにはない。

きっと、意識してその形をつくることで、なんだか笑ってるぞと、心が引っ張られ、気持ちがそちらに馴染んでいくのかもしれない。単純な人間だからか、今のところ、それで元気が出ている。

新年の、銀だこ 

銀だこ




今週のお題「最近おいしかったもの」

1月の楽しみの一つに、銀だこがある。「焦がし醤油もちチーズ明太」という、新年を迎えるにあたり、ふさわしい一品である。

カリカリに焼かれたたこ焼きの上には、とろとろのもち、そしておなじみのチーズ、めんたい、刻みのりが乗る。たこ焼き然とした紅生姜の旨み、チーズのマイルドさ、そしてめんたいの辛味が絶妙である。特に今回は、現地にて出来立てを食したこともあり、カリカリととろとろの融合が素晴らしく、過去一のうまさであった。

たこ焼きにして一玉90円超えの高級品である。にもかかわらず、たこ焼きにその値段はなぁ、なんて言わせない、少なくとも私は言わない、そんな一品なのである。

期間限定なのが幾分か残念でもある。だけども、我が家としては、季節の風物詩として、期間限定であってほしいとも思う。

銀製の茶筒

茶筒


一生モノとは、今もこれからもずっと使い続けるモノ。私にとってのそれは、父から譲り受けた銀製の茶筒である。

小さな丸い槌目が全体に施され、銀色でなく黒い。もしかすると磨けば銀色になるのだろうが、このままがよい。昔からこの姿であった気もする。中蓋や中の筒部分はステンレスなのか、錆や黒みは全くない。中蓋はすっと落ち、道具としての用をなし、その質は変わらない。静謐な佇まいである。

父の死から30年、自分もその父の年齢に追いついた。茶筒の凛とした佇まいを見るにつけ、所有者としての自分をなにやら頼りなく感じてしまう。きっと、時を経た美しさがそこにあるから。

これからも、一緒に時を経て、いつしか、茶筒の所有者としてふさわしい自分になっていたい。